今日は雨が来る前の午前中に自転車に乗っておこうと思い、アンタレスで赤井川方面に向かいました。
自宅から、冷水峠の旧道を登り、赤井川カルデルを横断するような形で走りました。先日赤井川を走ってみて、カルデラ内の道路が舗装されている割に人や自動車がいないことに気づき、コース化してみました。
実際、ほとんど誰とも出会わずに、自動車のストレスからも解放される道ばかりで、適度なアップダウンもあり、気に入ってしまいました。天気が良かったらさらに気持ち良いと思います。
ただ、最南部の電波塔の周辺は、一応舗装してあるけれど路面が悪く傾斜も急すぎて、トレーニングには不向きです。
逆に、カルデラ内にまだまだ走っていない舗装された道が沢山あります。
こういう、センターラインのある道と、センターラインの無いもう少し細い道もけっこうあります。
さて、また古道の話になりますが、下の写真の右端が723m峰、その隣の少しとがっているのが大黒山(724m)です。余市・仁木から見るのと逆になります。
大黒山の左側の一番低くなっているコルがかつて赤井川と然別を結んでいた旧道があった所です。
カルデラの北西の角まで行って、旧道の入り口に続いているかもしれない林道です。
赤井川はカルデラになっていますから、どこに出るにも山があります。旧道の歴史としては、余市に出る今の冷水峠、然別に出る大黒沢の峠(区画峠と呼ぶ説があります)、銀山に出る道(鉄道の銀山駅が出来てからメインになります)、小樽に直接抜ける山道は2つあり、一つは小樽川を遡り、小樽峠から穴滝奥・奥沢に抜ける道(昨年7月にOMA小樽赤井川で私たちが通ったルートの逆です)、そして大登山を通って穴滝に抜ける山道だそうです。
その中で、一時一番のメインルートが然別コースだったそうです。何より村の中心から然別までは12kmで、余市の15km、銀山の16kmよりも近いのです。
『後志の人と道』によれば、このルートは明治37年(1904年)に作られ、銀山に鉄道駅が出来るまでは、明治鉱山や轟鉱山の鉱石も駄鞍付の馬で運んでいたそうです。何より、然別そのものが、然別鉱山の繁栄もあり、今よりも中心地機能が相当大きかった様です(人口1500人余り、戸数300戸、私立学校1、開業医1、散髪師3、商店10数戸)。
地形図で見ると、冷水峠の標高が330mくらいなのに対し、大黒山のコルは450m以上あります。相当大変なルートだったと想像できます。
地形図を見ていて、気づいた事があります。
上の地形図の「+」のあたりが赤井川と然別を結んだ峠と思われます。地図をよく見ると、赤井川の中心部からその峠に向かって斜めに走る道路があるではありませんか。今日は自転車でその道は通りませんでしたが、東西南北に道が作られている赤井川カルデラの中ではちょっと異色です。
本当に今日地形図を見ていて気付いたので、何も調べていませんが、私の直感は当たっている気がします。
このルート、今日は自転車で走りませんでしたが、舗装してあれば、傾斜もそこそこあり、とても良いトレーニングルートにもなる気がします。
余市スタートで、トンネルや交通量の多い道を通らずに気持ちの良いバイクのトレーニングルートを発見出来て(しかもそれが然別に抜ける古道跡かもしれない)、赤井川村の方々には少しだけご迷惑をかけるかもしれませんが、嬉しいです。
しかし、今日は帰りの冷水峠の登りから完全に雨になり、冷たい雨でずぶ濡れになりました。雨の判断が30分遅れた感じでした。寒くて寒くてシャワーを浴びてもなかなか回復しませんでした。