今日は曇ったり晴れたりでしたが、気温は低かったです。
クロスバイクで12km弱、然別駅のあたりまで行きました。そこからトレラン開始です。
はじめ、然別川に沿った然別林道をゆっくり登ります。
然別林道から点線の道(銀山林道)に入る分岐です。ここから急に登ります。
林道としてしっかり整備された様です。
前半の軌跡です。
最初の西斜面を登っているところです。
峠というか、東側の斜面に出るところです。ここから然別方面にもかつては道があったということでしょうか?
寒かったので、上下長袖。シューズはナイキのペガサストレランシューズです。
この後は、デジャブの様に何度も何度も似たようなコーナーを走りました。
道は、「ここ公園の遊歩道?」と思うほど、きれいで走りやすかったです。ただ、似たようなカーブが連続するので、自分がどこにいるのか分かる様、ずっと地形図の現在地の部分を親指で押さえていました。オリエンテーリングではこれを「サムリーディング」とか「サミング」と言います。
熊かな?鹿の足跡もありました。
沢を回った北斜面では、昨日雪解けたばかり?という感じで、ドロドロの部分もありました(ほぼ毎回)。
後半の軌跡です。
最後の部分の地形図です。
ルベシベ川に出たところで七曲りの林道は終わりです。
その後、ルベシベ川に沿った林道(旧ルベシベ鉱山跡)を少し登ってみました。ここは、以前、春スキーで来たことがあります。
ここが、林道が大きく曲がって沢を離れ、稲穂峠の方に登っていく地点ですが、ここから登る林道は廃道化していました。下の写真で右上に上がるのが稲穂峠に行く林道です。
ここからは、何かの施設が水を引いている様です。川を渡ってさらに登れそうでしたが、以前スキーで来たときに、熊の足跡を見つけたところでもあるし、今日は行きませんでした。
そこから、戻って、そのまま国道5号線をクロスし、昔「ルベシベ通行家」があったと思われるあたりから、国道で沿いに大江の方に戻って来ました。
平地舗装に出てからのランのペースはキロ5分半くらいまで上がりました。
国道を出来るだけ避けて走ったのですが、どうしても国道を通らなければならない「きのこ王国付近」など交通量は多かったです。そのあたりはキロ5分を切って走りました。
自転車に戻ると丁度25kmでした。標高とペースを重ねたグラフです。
七曲りは小さなアップダウンはあるものの、おおむね標高200m前後を走りますので、トレランの割にはペースが落ちません(キロ7分弱で走っていました)。もう1週間くらいすれば、ドロドロ部分も乾いてさらに走りやすくなるのではないでしょうか。ドロドロがなければ、往復しても良いと思いました。
25kmの最後の方でキロ5分切れたのは、最近走りまっくっている成果が出ているのかもしれません。昨日も5分半くらいのペースで7km走れました。
さて、自転車で帰る時に仁木と余市の豊丘町を結ぶ桐谷峠を通りました。
地形図で「+」のあたりが桐谷峠です。
そのすぐ南に仁木ヒルズのワイナリーが昨年できて、桐谷峠は行きやすくなりました。というか、ワイナリーの第2駐車場のすぐ上になります。
立派な石碑があります。
余市側はカーブが続きます。
桜が奇麗でした。
リンゴの花も。
自転車は、行き12km、帰り20kmの計32km。今日のトータルの運動時間は5時間弱でした。ただ、自転車は移動手段に使っただけで、トレーニングした感覚はありません。ただ座っていただけでした。
今日の行動中、人とは全く接触していません(飲み物も気温が低かったため持参の物だけで足りました)。ただし、行きの然別駅手前で、すれ違ったファットバイク乗りが自転車関係の知り合いで、少しだけ立ち話をしました。2年くらい会っていない人でした。
ところで、今回の林道は、余市から稲穂峠に抜ける昔のルートだったという記述があります。以下、『後志の人と道』から引用です。
「安政5年(1858年)8月、余市運上家からヌッチ沢を通り「然別」に至る新道が開削されました。この新道工事には。余市に在勤していた足軽桐谷太兵衛が大いに尽力したので、余市から仁木へ越える峠を桐谷峠と呼んでいます。この道は、下山道(現豊丘町)から桐谷峠を越え仁木町尾猿内(おさるない)、砥の川を経て然別に至り、余市川の支流である然別川を渡ると険しい山道に入ります。この辺りは「石坂」と呼ばれ足場の悪い急坂で「馬行叶わず」と当時通行した人の日記に書かれています。更に進むと余市川が山すそまで迫っているため道は山の中腹へと上がり、山襞(やまひだ)にそって蛇行するので「七曲り」の地名が残されています。その後も道は余市川を渡ることなく、現在の大江3丁目付近で右折し、今でも峠下といわれるあたりから沢に入りやがて稲穂峠に至るのです。この間、通行者の便利を図るため、ルベシベ(現大江3丁目)に通行家が、然別には人馬継立所が設置され。所々に小休止するための茶屋も設けられていました。かつて仁木町は仁木村・大江村・山道村の三か村から成っていましたが、その村名の由来もこの山道からきているのです。」
この記述からすると、私が今日走ったところの大部分が七曲りの山道だったのではないかと思いますが、かなり近年になって林道は整備された様です。
腑に落ちないのは、あんな山の中腹をカーブを連続し続けて行くよりも、下の平地を行った方がずっと楽だったのではないかという事です。また、桐谷峠を通らなくても、もっと余市寄りの今の山田町のあたりとか、モエレとかを越えた方が楽だったのではないかと思う事です。考えられる要因としては、とにかく余市川を渡るのが怖かった、余市川の近くを通るのか怖かったのかもしてないということくらいです。