余市と古平の間は、昭和33年に海沿いの道が開通するまでは、「余市山道」と言われた山越えの道があったそうです。山道と言っても、バスも走っていたそうです。写真は「後志の人と道」から
私の両親が積丹町野塚にいて、私が生まれたのが昭和38年ですから、私が生まれる5年前にやっと海沿いの道が出来たことになります。そのおかげて、私の母は積丹から余市協会病院に行き、そこで私は生まれ、2歳の時には積丹で階段から落ちて腎臓内出血になったのに、これまた余市協会病院に運ばれて一命をとりとめています。
その山道の痕跡の残る地図を探していましたが、図書館は休館。ところが、自宅を探してみたら、郷土史のサークルにも入っていた母親の遺品に、昭和11年(戦前です)発行の小冊子があり、その中に地図が織り込まれていました。
今の余市の梅川トンネルのあたり、峠付近の地図です。当時は出足平(でたりびら)峠と言いました。
今の地形図でも、細い道として残っています。出足平峠も書かれています。
さらにその先、白岩町から豊浜町への旧道です。
その部分もまだ現在の地形図に道が残っています。古地図の方はピントがぼけてしまっていますが、現在の地図の196mの三角点のすぐ北は、古地図ではトンネルになっているように見えます。
トンネルの部分と今の豊浜(当時は湯内)の部分です。
豊浜から沖村にかけては、一旦豊浜の湯内川をかなり上ってから山に入ります。
沢から252mの尾根までは現在も残っている様ですが(現在の地図では183mの標高点を巻い登っています)、現在の林道はそこから南西に向かっており、北に向かう道は地形図上では消えています。この消えている部分が特に運転の怖ろしカーブの連続だった様です。
沖村まで、古道の跡は地形図上では確認できません。
この写真も「後志の人と道」から
地形図に残るこの余市古道に行ってみたくなりました。マウンテンバイクかトレランで行ける所まで行ってみたいです。夏草が生える前の今の季節がチャンスかもしれません。