羊蹄・ニセコを走る、世界を走る?2

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キリングフィールドから現代へ

 Grabのトクトクで市内南部に10㎞ほど離れたチェンエクという所にある通称キリングフィールドへ。トクトクは800円くらいでした。

 入口です。

 入場料5ドル。日本語のパンフレットと日本語のオーディオが渡されます。ちゃんと聴くと1時間以上かかります。

 この穴だけで、450人の人骨が出て来たそうです。

 大雨が降ったりするたびに、新たな人骨や衣服が今も出てくるそうで、注意して足元を見てみると小さな人骨が沢山ありました。

 キリングツリーと言われる木。この右の穴から幼児の人骨ばかりが出て来たそうですが、トゥール・スレンの博物館に、幼児をこの木に殴りつけて殺した絵がありました。

 中央にある慰霊塔には、何階にも人骨が積み上げられています。

 トクトクで市内に戻り、市内にあるトゥール・スレン虐殺博物館へ行きました。元は学校だった施設が、監獄と拷問場にされていました。

 ベトナム軍が解放した時に、拷問を受けたまま死んでいた受刑者の死体が12体ほどそのままあったそうです。

 下の写真はポルポト派の幹部にさせられた少年たち。大人をどんどん拷問で殺すことを教えこまれ、最後の時期にはほとんど命を落としたそうです。1975年当時、私はモスクワにいて13歳くらいですから、彼らの中の一番年下と同じくらいの年齢です。

 その他の部屋には、番号だけが付けられて犯罪者の用に撮影された多くの命を奪われた人々の写真が延々と続きます。

 拷問の絵と実際に使用された拷問装置です。

 カンボジア各地にキリングフィールドは多数存在しました。そして、1975年から1979年までのポルポト政権下で300万人が殺されたと言われます。

 どうして自国民をただただ殺すことを、ポルポト派はできたのでしょう?

 クメールルージュ(ポルポト派=赤色クメール)やカンボジア現代史については、30年ほど前に10冊以上の本を読んで、十分に分かっているつもりでした。しかし、現地に来て初めて分かったことや改めて感じたことが多数ありました。言葉ではなかなか言い表せません。

 昼食を取り、市場で買い物をして一旦宿に戻り、国立博物館を見学しました。

 ここは、東洋古代史に興味があまりない私には特に心を動かされるものはありませんでした。そのまま王宮広場へ向かいました。

 あんな時代から40年以上経って、今のカンボジアは平和になったと思います。

 王宮の前の広場は夕方の幸せな時間。私もつい縁側の石に腰をおろしました。少し前まで太陽が照っていたせいか、石が暖かい。

 日本だったら皇居の前で遊んだり物を売ったりすることは許されない雰囲気がありそうですが、ここでは本当に幸せそうな時間が流れていました。

 お坊さんもいましたし、犬も幸せそうに寝ていました。

 夕方もきれいでした。

 晩になって、川沿いの遊歩道も沢山の市民がそれぞれに楽しんでいました。色々なアスレチックマシン?もありました。

 鉄棒の所でカンボジア人の少年がぶら下がっていたので、その横で私が懸垂を20回やったら、完全に引かれてしまいました。

 夜になると若く美しい女の子たちがこちらを向いて沢山座っていて声をかけてくる136番通りです。もう少し遅い時間がピークの様ですが、この華やかさ。

 まだまだ一人当たりの所得とかは高くはないかもしれませんが、キリングフィールドの時代に少年少女として人殺しを強制させられた世代も60歳を大きく過ぎている筈です。新しい世代が新しく国を作り始めているようで、今後のカンボジアに幸あれと心から思いました。