京都で、夕方少し時間ができたのて、三条河原町から東山の麓、哲学の道方面へランをしました。
何となく道のどんづまりあたりにあるイメージでしたが、そこにありのは案内の碑で、実際はかなり奥にあり、ほぼ登山となりました。
霊鑑寺横の道を登ると舗装路の終わりに上の石碑があります。「俊寛僧都旧跡道」とあり、その隣には「京都一周トレイル」の案内もあります。
ここでどうしたものかと思っていたら、ちょうど山を下りて来た登山者風の方が、「ここからさらに30分ほど登ったところですよ」と教えて下さいました。「三井寺にも抜けられるのですか」と聞くと、「あなたその恰好でこの時間から三井寺に行くのですか?」と聞かれ、「いいえ俊寛山荘までです」と答えるとその後もずっと心配そうに見送って下さいました。その方と出会わなかったら、ここで引き換えしていたと思います。
そこからは整備されたトレイルを登ります。ランシューズでも問題なし。
走れる部分も多く、10分ほどで滝が見えて来ました。
滝の横に石段があり、それを登ると大きな石碑がありました。標高おそよ300m。
『平家物語・巻一・鹿の谷の事』には、
「東山の麓、鹿の谷といふ所は、うしろは三井寺(みいでら)に続いて、ゆゝしき城郭にてぞありける。俊寛僧都の山荘あり。かれに常は寄り合ひ寄り合ひ、
平家ほろぼさむずるはかりごとをぞ廻らしける。」と書かれています。
確かに、ここをさらに登れば大文字山、さらには滋賀県に抜けて大津市にある三井寺(園城寺)に抜けることは出来そうですが、平安時代の貴族が、こんな山道を登ってきて優雅に酒など飲むのだろうかと疑問に思いました。山荘はもっと下にあったのではないでしょうか?
それほど傾斜の厳しい山の中です。
さて、日も落ちかかり、哲学の道近くまで戻ると、猫が夕日を見ていました。
哲学の道の南の端から山に入ると、またしてもここが入り口でしかない事を示す看板が出てきました。
そこから山道に入ります。山道と言ってもかなり幅広く整備されています。
こちらもちょっと入ればすぐにあるのかと思ったら、標高190mくらいのところにやっとありました。
新島襄は同志社の創業者ですが、詩吟をやっている時、彼の「寒梅」という詩が好きでした。
「寒梅」 新島襄
庭上一寒梅 (庭上の一寒梅)
笑侵風雪開 (笑つて風雪を侵して開く)
不争又不力 (争はず又力(つと)めず)
自占百花魁 (自(おのずか)ら百花の魁(さきがけ)を占(し)む)
<庭先の一本の早咲きの梅が風雪に耐えて花を開いている。まるで微笑むかのようである。
争いもせず、ことさらに務めもせずに、自然と百花にさきがけて、寒さの中に超然と咲いている。>
お墓地帯を日も落ちて薄暗い中走るのは少し薄気味悪かったです。
そこからは平安神宮の南などを通り宿に戻りました。
地図です。
ランの断面図です。標高差400m以上あります。
京都ラン面白かったです。時間が許せば、嵯峨野の祇園寺や滝口寺なども平家物語ゆかりの場所として訪れてみたいです。